【復刻】『あそびあい』の小谷さんに学ぶ

 

 

こんにちは。
一人旅のときには漫画喫茶に泊まることに定評のある私です。

 さいきん新田章『あそびあい』を読みました。
 3巻完結でサクッと読めます。スッキリまとまってて、分かりみも強いのでおすすめです。
 個人的には、ツバキちゃんが振られたっきり登場しなかったのが良かったですね。
 あ、おすすめしておいてネタバレしてしまいました。すみません。

 あそびあい、ヒロインは小谷さんという可愛らしいJKです。おたにです。かわいいのをいいことに(?)、付き合ってない人ともHするという奔放な女子です。
 それも、背景に黒いトラウマがあるとか、世の中の支配的な倫理観に対する反抗だとか、そういう考えからじゃなく、何ものにもとらわれず(自分の欲求以外)、やりたいようにやっちゃう。これが小谷クオリティ。それが良い。

 そんな小谷さんなので、おそらく好き嫌いは分かれると思いますし、人によっては腹が立って本を引き裂きたくなるかも知れません。作者もあとがきで「たちの悪さを表現した」と言ってますからね。
 ですが、私は、小谷さんすごく良いと思います。
 彼女のどこが素敵なのか。
 小谷さんは、社会的にとても強い人で、そのことを正しく認識しているから素晴らしい。私の彼女への賛辞はこの点に尽きます。

 まず、彼女が社会的にとても強い人であることは間違いないでしょう。
 かわいいJK。強い。
 決して私個人の見解ではありません。あくまで社会的に認められてる事実を述べたまでです。
 社会的地位と言ってもいいと思いますが、我々は人の価値を必ずしも厳密ではない仕方で認識しています。それは社会ごとに相対的である部分が大きく、しかし個人個人が恣意的に決めたり、上げたり下げたりできるものではありません。
 この社会的地位において、お金持ち、美男美女、若い女性、顔の広い人、その他何かにおいて特別認められている人、などはとても高い位置にいると思います。
 さらに、刑事事件に関与する探偵や魔法使い、錬金術師などの非存在も、非存在ですが極めて高い社会的地位を持っていると考えられます。非存在ですが。
 私は、これを測る一つの指標として、物語の中心になりがちかどうか、ということを挙げられるのではないかと思います。探偵物とか魔法使い系の経済効果ってすごいものがあると思うんですよね。これは社会の構成員みんなに認められているからこそなのではないかと思うわけです。
 話は戻ってかわいいJKについてですが、これがもはや社会的にはセレブと言っても過言ではないくらいにハイステータスであることは間違いないでしょう。たぶん。ドラマでかわいいJKが一人も出てこないものなんて全体の何%ですか、という感じです。
 したがって、小谷さんは強い。かわいいJK強い。そういうことです。

 そして彼女は自分のこの強さ、地位の高さを本当の意味で理解していると思うのです。
 それはつまり、自分の地位が高いのは自分の、自分だけにある特別な何かのおかげなんかでは別になくって、ただかわいい女子高生でいるからだということ、そのことをおそらく自覚しているのだろうと思うのです。

 これは素晴らしいことだと私は思います。なかなか難しいことです。自分のことをかわいい女子高生だと思っていても、本当は地味な女子高生と思われてるかもしれない。もしそうだったらとても恥ずかしい。
 恥ずかしいから、賢い人は予防線を張ったりするわけです。つまり、自分で思うよりも少し低めに地位を見積もる。
 しかし、自分で思うよりも少し低めに見積もるのは、誰かの為でしょうか? 私は、これをやっていいことがあるのは結局は自分一人なのではないか、と思います。
 自分がイタいキャラにならないように、高慢だと思われないように、自分よりも地位の低い人から反感を買わないように。
 こういう下心は場合によってはとても重要なことです。それは純然たる下心であるにも拘わらず、「謙虚」という名が与えられ、美徳の一つとして数えられたりします。(なぜこれが美徳に数えられるかは簡単です、みんな同じ下心を持っているからです。)
 なので、自分の社会的地位を、強さを、遠慮がちに申告することは悪いことではないですし、そうしない方がいい、と言うつもりもありません。

 が、そもそも、仮に私の地位が高かったとして、それは私がそれ自体で素晴らしく価値のある人間だということを意味しない。
 たまたまお金を持っていたり、たまたまかわいいJKだったりしたからその地位にいるというだけです。言い換えれば、お金を持っていたりかわいいJKだったらみんなその地位くらい手に入る、ということです。
 何が言いたいかというと、この社会的強さは私が誇ることではない、ということ。同様に、この弱さは私が恥じることではない。
 私の人格そのものと単に偶然的でしかない社会的地位とを結びつけて考えるから、それを謙遜したり恥ずかしく思ったりする。今ある地位なんてのは相対的でしかないのに、それを相対的なものとして捉えられていない。

 そこへいくと、小谷さんは素晴らしいのです。一時の社会的セレブを、特別だれかに遠慮するわけでもなくきちんと謳歌する。
 「謙虚」という美徳こそ至上であるという価値観に囚われた人にはない気持ちよさがあります。

 彼女の考え方を示す象徴的なシーンがあるのですが、(再びネタバレになるのですが、)小谷さんと関係を持っていたある大学生の彼女さんが小谷さんの目の前に現れて、もう彼とは会わないでほしいと伝えるところがあります。小谷さんは、分かりました、もう彼とは会いませんと応じるのですが、彼女さんは「それだけ?」と食い下がります。自分はあなたがいる限り不安で仕方が無い、消えてほしいと伝えます。彼女さんはハンドバッグで小谷さんをポカポカし始めます。
 このとき、小谷さんは、その彼女さんの意図を理解できずに終始ぽかんとしているのです。
 流石だなぁ、と思いました。
 この彼女さん、小谷さんよりはかわいくないのです。おそらく彼氏さんと同じ大学生で、小谷さんが自分より若いことを気にしています。
 小谷さんは、自分のほうが若いとかかわいいとかそういうことは別に自分のせいではなく、仕方のないことなのに、なぜ自分に言ってくるのか、理解ができなかったのではないかと思うのです。
 自分のほうが地位が高いからといって何でもしていいわけじゃない、だから彼とはもう会わない、そう言っているのに、なぜ更に言っても仕方のないことを言ってくるのか。
 ここで、自分のほうが強いことに申し訳なさを感じないのが、人によってはすごく嫌なところなのだと思いますが、人によっては(少なくとも私からすれば)素敵なところだと感じるのです。
 だって、そんな申し訳なさなんて役に立たないじゃないですか。申し訳なく思っても彼女さんは心安くならないじゃないですか。
 だったら、そんなこと口にしないほうがいい。申し訳なく思っても、気が楽になるのはたぶん自分だけです。
 と、そこまで小谷さんが考えていたわけではないと思いますが、まぁそういうふうに読めます。そういうことです。

 だったら、どうすればよいか、ということは私は考えていません。
 謙虚さも大事だし、でもそればかりじゃ嫌なときもないですか、とも思います。少なくとも、小谷さんみたいな真面目さを時々は評価するのも良いのではないでしょうか。

 小谷さんに興味を持った方は、ぜひ新田章『あそびあい』を読んでみてください。

 

 

2018.03.14