【復刻】奴隷論概説

 

 

これはラクダの日記である。2018/03/17。

日記だから、今日あった出来事について書かれることになるはずだ。

 

今日あったこと。私は今日とても貧しかった。精神が貧しかった。だから、奴隷であった。今日、とくに今日の午後など私は自分のことを絶えず奴隷だと感じながら過ごしていた。

実際、私はしじゅう自分のことをとても人間と対峙することのできる存在ではないように感じていた。

 

もしかすると午前中から私はそんな具合だったのかもしれない。

今日の午前中、私は高山市内をぶらぶらして、なんとかいうカフェに入って、別に観光する気など全くなかったが旅行者のフリをして女将さんと少し話をして、別に好きでもないブレンドコーヒーを飲みながら坂口安吾堕落論』を読んだりした。私は気さくな旅行者のフリなどするべきじゃなかったし、いつも通りアイスカフェオレを頼むべきだったし、なんとかいうこじゃれた喫茶店になど入らずマックに入るべきだったし、そもそも高山市内をぶらぶらしたりなんかしなければよかった、のかもしれない。『堕落論』については、いま持っている本は似たり寄ったりなので仕方がなかったとも言える。

 

精神の貧しさの経験というのはおそらくよくあることだと思う。私にしても何も初めての経験だというわけではない。ただ久しぶりだっただけである。

多くの人も同じように、心が貧しく全く奴隷のようだと感じる場合があることと思う。

 

それにしても、こんなことを大真面目に(私は起きてから寝るまでほとんどずっと真面目なのだが)書く人間がこのご時世にいるということは驚きである、と感じられるかもしれない。

自分の精神がまるで奴隷であるということを告白した人物はかつて限りなくいたことだろうから、それはもはや陳腐な言い回しだと言ってもよい。

私がいつも思っていることだが、ヒトが考えることと言うのはいつの時もそんなに大きく違うものではない。

未来の人間が過去の人間よりも「様々な」ことを考えられるというのは、単に極めて特殊な場合についてだけ妥当することであり、一般的な真理ではない。逆に、いくらかの特殊な場合では、過去の人間のほうがよりバラエティに富んだ思考を展開したといえるようなところもあるだろう

思考の進歩史観とでもいうべきものを私は採らない。

私が考えたことの全ても、いつか石器を作りながら縄文人が考えたことと同じことでしかないのである。言葉は違えど、縄文人以上の思考を私は展開できない。

 

今日、何が起こったのかは書かないことにする。

 

今日の私は人間と対峙できる存在ではなかった。

それでは、今日私が言葉を交わした相手は人間ではなかったのだろうか。今日私が対峙した全ての人は、実は私と同じく奴隷だったのだろうか。

もしそうなのだとしたら、今日私に起こったことの多くの部分は、奴隷的価値観に支配された場所に参入することによって引き起こされたのだ、と説明することができるかもしれない。

だが、そんなことは考えないことにする。

 

私が言うところの「奴隷である」という状態が一般的であるということは間違いがない。

だが、私は、自分以外の人間がそうであるかどうかということに関心を持ちたくないのである。

このあたり、私は高慢であるとの印象を与えるかもしれない。

だが、どうだろう。他人の精神のうちに奴隷が潜んでいるのを見出すよりは、無関心でいるほうが良いのではないだろうか。

他人の精神を観察したところで、どうするというのだろうか。それを羨んでも始まらないし、哀れに思っても自分の醜さを表すだけである。

つまるところ、他人の精神についてあれこれ考え事をするということのほうが高慢なのではないか。

「なるほど、私は高慢である。ただ、あなたよりも高慢ではないというだけのことだ。」

だから、私はただ自分の状態についてだけ報告をすることにする。

 

今日の私はどんなだったか。

一言で言えば、「善良」であった。

(どうでもいいことだが、「善良」という言葉は何とも欺瞞に満ちている。「善」であることと「良」であることとは、同じようでいて全く違う。ことによると正反対なのである。

だから、「善良」という言葉は「善い」人々ではなくて、「良い」人々が作ったのではないかと思う。このような欺瞞を平気で行うことができるのは後者だけだからだ。

「良い」人とは、世間体がよく、親切であり、自他共に「良い」と認めるような人だ。Facebook上に多い。博愛であり、寛容である。良いことを好む。

他方、「善い」人とは、良いことを好む以上に悪を忌避する人間である。良い人は醜悪なものに対して驚くほど鈍感だ。たとえば、優しい自分であろうとするとき、博愛精神を尊ぶとき、彼らはその背後にある自己愛や慢心に気付かないようなそぶりをするのである。良い人々の間ではその習慣が定着してしまって、今ではそのような醜いものは忘れ去られてしまったかのようだ。だが、善い人々はその醜いものを醜く思う習慣により、優しくなることや博愛であることにそこまで執着しない。

善さと良さとは、繰り返すけれども、全く違う。しかし、その区別をあえて設けようとするのは善い人々だけであるから、良い人からすると「善良」という語にそんなに違和感を抱かないのだろう。脱線、了。)

 

更に具体的に言えば、私の身体がただ「善良」なのだった。

表情が、次に出る言葉が、緊張した背中が、とにかく善良であることを欲していた。自分をあらゆる非難から守り、今在るように在るこの世界を維持し、誰にも嫌われることなく愛されるべく緻密に計算しつくされた身体であった。物質的なものだけを愛していた、と言ってもいいかもしれない。

私の魂のなかにこんなにも惨めな貧困があったとは知らなかった。私の精神はそのことをただ惨めに思っていたのである。

 

しかし、私が自身を憐れんだということは、私が「せめて精神だけでも」奴隷であることから免れていたということでは全くない。むしろ逆である。

私は私を惨めに思うからこそ奴隷だった。奴隷というのは純然たる精神の状態である。

精神が、自身を惨めに思うことが必要条件なのだ。

惨めに思いながら、その思いを肯定する。その思いを明日も抱えて生きていくことを受け入れる。誰よりも惨めさを愛するものが奴隷である。

 

奴隷は夢をかなえた人間である。

人間の夢とは何か。それは生を肯定することである。受け入れることである。

いったん奴隷になりさえすれば、あとは日々を送るだけだ。

そこには、自身が惨めであることを除いて、悩みがない。どんな悩みも惨めさの前には些細なものでしかないからだ。それでいて、その最大の悩みは決して解決しようとしないのである。

そのままでも生きていけることを知っているからだ。

 

田舎の町に行くと、どんな場所でもたいてい何か素晴らしいものがあって、果たしてここで一生暮らしてみるというのはどんなものだろうかと考えることがよくある。

こんなことを考えても仕方がないのは、今の私に私の一生を決める権利がないように感じるからで、それは10年後の自分はもはや自分ではなく他人だと考えられるからだが、しかし実は10年後の自分はやはり自分なのであって、だから私はいつの時点においてもその選択を先取りすることが可能なのである。

奴隷になるとそういうことが起こる。

自分の一生という果てしのないものに対する遠慮を忘れ、ほんの弾みで生き方を選び取ってしまう。ここにある通りの世界と、そのなかで惨めな自分を一生分、選び取るのである。後には、その決定が刻印された身体だけが残っている。

一時の気の迷いで田舎に突然マイホームを建てたりすれば、この感情はよく理解できるのではないかと思う。買ったことないけど。穏やかで変わらない世界と、不便と、あまり多くない収入がそこに残る。

いずれにせよ、田舎のマイホームが奴隷の夢であり、奴隷的性の肯定であり、その者の明日である。

 

まとまりがないまま、おそらく随所に矛盾を残したまま、書くことがなくなってしまった。

こんなただの日記に過ぎないものに「奴隷論」などと名前をつけるのはクィアーであるが、自分自身を観察していたらいろいろ考えることがあって、結果このような得体のしれない文章になってしまった。

 

私はどうなりたいのか。

奴隷でなくなりたい。そう思うことこそが奴隷の証であると言ったばかりだ。

ではどうなりたいのか。

 

私はそんなに高尚な人間ではないので、全く死にたくはならないのである。

 

2018.03.19