【復刻】あなたの遺産は何ですか

 

 

 

彼は美しく生きようとした人であった。

彼は精神の美しさを信じており、それを言葉にすることができないことを知っていた。多くのつまらない悩みに振り回され、何かを失敗することも多かったが、どうあるべきかを全く見失ってしまうことはなかったし、見失いそうになる時もなかった。

彼は自身の人生を幸福なものだと感じていた。肯定的に受け止めていた。

 

彼は熱心に働いた。望んだような仕方で働く環境が与えられたことに感謝していた。それを努力の結果とか運とか考えるのではなく、ただ何事か賛美するようにして感謝していた。

学生たちはその後の人生で、時折彼を思い出すことがあった。けれども、素晴らしい人だったというような強い印象と一緒に思い出すのではなく、ただ思い出すだけだった。

仕事でもう少し親しく付き合うことのあった人たちは、彼のなかに確かに偉人的な精神を垣間見ることがあったと言う。しかし同時に、彼は現実には決して偉大な人物ではなかった、ただ一人の人間として比較的よく生きたと、そうも言った。

彼の著作は魂の美しさへの信仰によって基調づけられていた。難解ではない代わりに精密さを欠くところもあり、未来に引き継がれる作品というよりは同時代的な役割を終えるのを待っているような作品であった。彼もまた、自身の作品が永遠的なものであることを願っているようではなかった。

彼の信じているところによると、それで構わなかったのである。彼は精神はこの世界に一つだけだと信じていた。それならば、自分が後世に名前を残すことなどは何でもないと考えていた。そして実際に名前が残るということは全くなかった。

 

家族は少し距離を感じながらも、彼に同調した。彼のことを、子供たちは長じるにつれてさらによく理解した。彼に愛されていると心から分かったのは、彼の死後であった。

それでも、家族は彼にとって最も大事な人たちだった。常にあれこれ考えるので失敗することもあったが、それも含めてその関係に幸福を見出していた。ある程度高齢になるまで生きたが、葬儀はやや死を惜しむ悲しい雰囲気の中行われた。

 

総じていうと、彼は漠然としたものを残した。それについてこれからも考えるように(「それが最後の課題だ」)、と私たちに言っているかのようであった。

 

 

 

 

「あなたの遺産は何ですか?」

 

ポジティブ心理学の入門書(『ポジティブ・サイコロジー』クリストファー・ピーターソン、宇野カオリ訳、春秋社)の第1章のエクササイズで、「自分の遺産」について書いてみようというのがあったのでやってみました。

あなたが死ぬときを想像してみて、そのときあなたが最も親しい人たちに何を残すことができたか、どういう風に記憶されたいと思うか、そういったものを書いてみるという課題です。本のほうには著者の学生が書いたというお手本が載っています。

お手本もここに書いたものも精神的なところに重心が置かれていますが、「○億円残した、さらに神奈川の郊外に300坪の土地と一軒家を残した」というような、文字通りの遺産でもいいと思います。

 

やってみるにあたって、空想的になったりしてはいけないし、謙遜したり不真面目になってもいけない、とあります。

まぁ一言でいうと真面目にやりなさいということです。真面目というのは現実を正しく認識しているということです。

 

で、実際やってみたのですが、私の場合こんな感じになります。何をして生きたかまだ未定なところがあるので、とりあえず高等教育機関で教鞭をとり、研究をし、結婚もしているという設定で書かれました。

ところで、これが科学的にどんな効果があるのかということが書かれていません。何が目的のエクササイズなのでしょうか。

人生の最高の目標は偉大な「遺産」を残すことではない、と私は思うので、ここに書いたことを目標として持てという話でもないような気がします。しかし確かに人生について反省する機会にはなります。

 

さいきん人生の細部にまで血液が行き渡っていないなぁ、と感じる方は、一度やってみたらいかがでしょうか。

 

 

2019.06.14