【復刻】狼と羊飼いの少年と日本レコード大賞新人賞を受賞して涙を隠しきれないアイドル

 

この世には、いつ知ったのか誰も覚えていないのになぜかみんな知っている知識というものがある。

しばらく前のことになるが、公園で6歳くらいと思われる女の子たち5人が遊んでいた。彼女たちは、公園の斜面を利用したゲームをしていたらしいのだが、一人だけ(鬼だと思われる)が斜面の下にいて、他の子はみんなその上にいた。驚いたことに、彼女たちは、その下にいる鬼のことを「アリジゴク」と呼んでいたのだ!

どこで覚えたんだ?絶対見たことないだろ本物??と私は思った。仮に一人くらいどこかで見たことがあったとしても、全員が見たなんてことはまずありえない、はずだ。

なぜ彼女らはアリジゴクという「概念」を所有しているのか。そんなことが気になってしまって、つい私は真剣なまなざしで彼女たちを見てしまっていたのであった。

 

前置きはこのくらいにしておいて、

例の、狼と羊飼いの少年が出てくる話は誰でも知っている。みんな子供のころから知っている。

今日はアレについてのお話です。

 

あらすじを書く必要は、きっとないだろう。

嘘を吐いた。村人が来てくれた。気持ちよかった。

また嘘を吐いた。また村人が来てくれた。気持ちよかった。

今度はほんとのことを言った。誰も来てくれなかった。世界を呪った。

 

だいたいこんな話である。

 

これは私の好みの問題だが、私はストーリーに意味を持たせてほしくないし、見出したくない。ある時観に行った演劇で、「生まれてくることの喜び」みたいなものをくどいくらい押し付けられたときは、「そんなの覚えてるわけねーだろ!!」と内心怒り狂ったものである。

そこら辺の恨みつらみについては、いつかまとめることがあるかもしれない。

 

それは置いといて、

この狼少年の話には教訓がある。ある、ということになっている。

どういう教訓だろうか?

 

「嘘をついてはいけないですよ。もし嘘を吐いたら、いざというとき困るのはあなたなんですよ」

こんな感じの教訓である。こんな感じの教訓だとされているらしい。

 

だが、一般にそうだとされているらしいこの教訓は、このお話のすべてではない。

このお話の本当の(ほんとうってなんだ?)教訓は、「(道徳的に)本当に大切なものを見失うな」である。まだ全然よくわからないと思うが、それで問題はない。続けていこう。

 

ここでは、日本レコード大賞新人賞を受賞して涙を隠しきれないアイドルを例に考えてみよう。

こんな感じの賞を受賞して嘘泣きみたいに泣いているアイドルを、あなたも一度は見たことがあると思う。

受賞すること自体は彼女たちにとって確かにうれしいことなのだろうし、いくらかは本当に泣きたい気持ちになることもあるだろう。

だが、泣き真似をしてる彼女たちにとって、これは気が狂うほど嬉しかったかというと、そうではなかったはずだ。あくまで、そこそこに嬉しかった止まりだろう。

 

こういう時は、泣かない方がいいと思うんだよな。

嘘泣きがあざといからとかいう理由ではない。本当に嬉しいときどうするの?って思うからだ。

また泣くのだろうか。だが、その涙が今度は本当だということを、そのとき彼女たちはどうやって知らせるつもりのか。

(だが、しかし、彼女たちはそうせざるを得なかったのでは…?)

 

これは、実は相当に一般化できる。

なぜなら、この世の中の道徳的営みはほとんど「フリ」で成り立っているからだ。それを積極的に認めていこうぜ、みたいな話も、前書いた気がするが。

たとえば、クラスでそんなにしゃべったことのない友達が転校することになりました、という場面。ひとは、そこはかとなく悲しいそぶりをする。

クラスでそんなにしゃべったことのない友達が亡くなりました、という場面。ひとはとっても悲しいそぶりをする。

デモサ、ホントウハソンナニカナシクナインダ。カナシイフリヲシテルカラ、ホントウニカナシイトキドウシタライイカワカラナインダ。

 

本当に悲しいとき、あなたは、これまでと同じように、悲しそうなそぶりをするしかない。それは、羊飼いの少年が身をもって教えてくれた通りだ。

 

2018.01.24