【復刻】戦争の美しさについて
戦争というのは今日の私たちからすれば特殊な状況であって、よく知っているように思うけれども一度も経験したことがない。
「あんなことは決してやってはならん」 この種のセリフは、怪談話などではもはや破られるためだけに存在する伏線である。「奥の神社には決して近づいてはならん」と言われた孫は、運命的にそこに行くことになっている。なぜ孫は奥の神社に向かうのか。そこになにがあるのか知りたいから行くのである。
「知っている」ということは特権的である。戦争についても同じ。
私たちは直接経験がないけれども、過去にはこの国は本当にやったことがあるらしく、今日の私たちはそういう知識を教育課程で教え込まれる。
そのプロセスは「戦争の悲惨さ」を一貫したテーマに掲げている。およそ教育に目的というものがあるのかどうか分からないが、戦争教育についても果たして目的というものがあるのかどうか知らない。知らないが、ともかく「戦争の悲惨さ」が中心テーゼであることは間違いない。
仮に戦争教育の目的が「二度と戦争を望まない日本人を育てること」だとすれば、「悲惨さ」を中心に据えた教育が効果的であるかどうかは微妙であるが、それよりも戦前と戦後の日本がどれだけ違っていないかを教えて、また戦前の日本軍の暴走がいかにとんでもなかったかを教えるほうがはるかに目的に適っているだろう。実際、「唯一の被爆国である」という国民性よりも、日本軍がむかし真珠湾で何をしたかとか、いま国会でどんなことがおこっているかとかいう知識のほうが、現実の戦争をより恐ろしく感じさせる要素になっていると思う。
ともかく、私たちが戦争について教わっている間は、話の「戦争の悲惨さ」とその近辺にとどまっており、その軸からぶれることはないのである。
そういう教育が為されるのは当然だし、それが当然なのはいいことだ。
しかし、戦争に悲惨さ以外の側面があったというのもまた当然のことである。
たとえば、最近私は坂口安吾ばかり読むのだが、彼はこう書いている。
「私は戦きながら、しかし、惚れ惚れとその美しさに見とれていたのだ。私は考える必要がなかった。そこには美しいものがあるばかりで、人間がなかったからだ。実際、泥棒すらもいなかった。近頃の東京は暗いというが、戦争中は真の闇で、そのくせどんな深夜でもオイハギなどの心配はなく、暗闇の深夜を歩き、戸締りなしで眠っていたのだ。戦争中の日本は嘘のような理想郷で、ただ虚しい美しさが咲きあふれていた。」
また、次のようなことも報告している。
「私の近所のおかみさんは爆撃のない日は退屈ねと井戸端会議でふともらして皆に笑われてごまかしたが、笑った方も案外本音はそうなのだと私は思った。」
心情としてはとても理解できる、と爆撃されたことがないのに言ってもいいものなのかどうか分からないが、とてもよく理解できる。
今日の記事は実質、これを引用するためだけの記事であり、それ以外の内容は無であると言ってもよい。
とにかく、戦争にこうした美しい面とかたまらない面とかテンションの高い側面のあることは確からしい。とてももっともなことだと思う。
『この世界の片隅に』でも玉音放送を聞いたすずさんは怒りながら泣き崩れていたし(つまり彼女はもっと戦争が続いて欲しかったのだ)、他の小説とかいろんな本でも似たような話を聞くことは多い。
それらのシーンの受け取り方については、現代の私たちはあまり熟練していないと思う。
真剣に戦争を愛していた人たちの感情をまともに受け取ろうという気ではいない。せいぜい「戦時中の狂った価値観に惑わされてかわいそうね」と思うくらいか。そちらが狂っているのだと言った者は、必ず、同じ言葉で言い返されるということを忘れてはいけない。
だから、真剣だったのだ。そういうリアリティが、我々には分からない。奥の神社で年に一度祭りをやっていたころの村の人々の畏れや感謝などの真実味が、「立ち入るな」とだけ言われた孫には分からない。
『この世界の片隅に』では、原爆以上に8月15日が重要だったのだと思う。思うのだが、なぜかそこの場面に入ったときに注意が散逸してしまって、大事な場面を混乱のうちに見逃してしまった。
気がついたら家族みんながラジオの前に座っていて、気がついたらすずさんが泣いていた。
よく分からなかった。
あの場面だけやたらと不自然だったんじゃないかと思うのだが、そうではなく単に私がばかなだけだったのかもしれない。だがやはりどこかしら不自然だったのだとしたら、それはあのシーンが現代の人を志向しすぎているからだと思う。
人の心の中には幽霊がいて(幽霊という言い方もやはり坂口安吾から)、それが私たちをして戦争を悲しいものとして捉えるよう努力させたり、あるいはたとえばお葬式で別に特別悲しくなくても悲しい顔をするよう仕向けるのだが、つまり幽霊というのは我々がどこで学んだのかそれをしてはいけないと感じるような力であり、人はそれに憑かれている。それは実質的なものへの扉を塞いでいく類のものである。(別にお葬式で悲しい顔をするなと言っているのではない。言っているのでないということは、もう一度読んでもらえれば直ちに分かることだ。)
何が言いたいのかというと、結局『この世界の片隅に』も幽霊に憑かれている人が作ったのだろうなということ。それだけ。
(代わりに、といってはなんだが、、この映画の終盤でワニのお嫁さんが出てきたときはテンションが上がった。やった!全く意味不明!これぞ!!)
そこへいくと、やはり坂口安吾である。
『戦争と一人の女』という短編小説でこう書いている。
「私は戦争がすんだとき、こんな風な終り方を考えていなかったので、約束が違ったように戸惑いした。恰好がつかなくて困った。尤も日本の政府も軍人も坊主も学者もスパイも床屋も闇屋も芸者もみんな恰好がつかなかったのだろう。カマキリは怒った。かんかんに怒った。ここでやめるとは何事だ、と言った。東京が焼けないうちになぜやめない、と言った。日本中がやられるまでなぜやらないか、と言った。カマキリは日本中の人間を自分よりも不幸な目にあわせたかったのである。私はカマキリの露骨で不潔な意地の悪い願望を憎んでいたが、気がつくと、私も同じ願望をかくしているので不快になるのであった。私のは少し違うと考えてみても、そうではないので、私はカマキリがなお嫌だった。」
同じ怒るのでも、すずさんのように洗浄された怒りではない。
好きとか嫌いとかは置いておいて、リアリティとはこういうものだと感じる。
(途中、「東京が焼けないうちになぜやめない」は「東京が焼けないうちになぜやめる」の間違いか。たぶん間違いだろう。坂口の。)
ある種の強迫観念に私もまた捉われていると思われるのは嫌なので、一人前に結論を話す段を設けたりなどしたくはないのだけど、この文章の始まりと結びつけて少しだけしゃべると、つまり、知ることは特権的なので、教育によって一つの側面だけを教え込もうというのは果たして正しいのかどうか、うんぬんかんぬん。
ほら、やっぱり駄目なのである。結論などないほうがましではないか。
およそ、他人の目のまえに何か規範的な指標を立てようなどと、考えるそばから失敗するに決まっているのだ。
2018.03.24